あとがき
この小説は、もともと、社内の教育のために
書き始めました。
うちの会社――東京ネット工務店で、新しく
入った人間に、この仕事の考え方を伝えるた
めの、いわば教材でした。戦略の階層とか、
取捨選択とか、口で言っても、なかなか伝わ
りません。だったら、物語にして読んでもらっ
たほうが早い。そう思って、書き始めました。
ところが、いろいろあって、その教材が、要
らなくなってしまいました。
理由は、いろいろあります。ここには、書き
きれません。ただ、宙に浮いてしまった原稿
を、捨てるのも惜しくて、何度も書き直しな
がら、今度は、教材ではなく、ただ読んで面
白い、お仕事小説として、作り直していきま
した。その結果が、これです。楽しんでいた
だけたのなら、ずいぶん遠回りした甲斐が、
あったと思います。
ひとつ、お断りしておきたいことがあります。
TNK――東京ネット工務店は、本当にあり
ます。大真面目に、あります。
作中に出てくる「戦略の階層」も、絵空事で
はありません。私は、実際に、これを使って
経営しています。最近は、AIの思考のタネ
として仕込んで、AIと壁打ちをしながら、
毎日のように使っています。海老沢も、白石
も、黒田も、少しずつ、本物が混じっていま
す。というより、私自身が、これまで通って
きた道の、切れ端みたいなものです。
タクヤやリナ、ほかの社員たちは、少し優秀
すぎるかもしれません。けれど、彼らもまた、
私が実際に出会って、一緒に仕事をしてきた
人たちを、土台にしています。ああいう人た
ちは、本当に、いるのです。
私には、たいした学歴も、肩書きもありませ
ん。
机ひとつから始めた商売を、月商百万から一
億近くまで持っていけたのは、そのために必
要なことを、全部、現場で覚えたからです。
パソコンショップの片隅でも、ECでも、ガ
ラケーでも、スマホでも――道具が変わるた
びに、その現場で覚えて、勝ってきました。
だから私は、肩書きではなく、その人が現場
で本当に何をできるか、で人を見ます。この
小説が、しつこいくらい、そればかり書いて
いるのは、たぶん、そのせいです。子どもの
頃に味わった、情報の格差のようなものを、
少しでも、なくしたい。それが、いちばん根っ
こに、あります。
この物語の中で起きる事件や出来事は、もち
ろん、百パーセント、フィクションです。
ただ、そこには、私がこれまで実際に経験し
たことや、感じてきたこと、考え方が変わっ
ていった道のりを、あちこちに織り込みまし
た。作中の案件も、トラブルも、癖のある登
場人物も、理不尽な出来事も、その多くは、
実際に見てきたもの、味わってきたものを種
にして、そこから創りました。だから、全部
が作り話でありながら、どこかに本当の手触
りが残っているとしたら、それは、たぶん、
そのせいです。
とりわけ気をつけたのが、開発の技術や、A
Iの描写です。ここだけは、できるだけリア
ルに、そして、書いている時点での、いちば
ん新しい状況を、そのまま映すようにしまし
た。AIが仕事の道具として使われはじめた、
この過渡期の空気を、記録として残せたら―
―そういう狙いも、少しあります。何年か経っ
て読み返したら、「あの頃は、こんなことで
大騒ぎしていたのか」と、笑えるのかもしれ
ません。それでも、その時、私たちが何を面
白がり、何に戸惑っていたのかを、書き留め
ておきたかったのです。
いっぽうで、エンジニアではない方にも、で
きるだけ分かるように、とも思いました。か
といって、易しくするために話を単純にして
しまうのも、違う。だから、噛み砕きすぎず、
でも、置いてけぼりにもしないように、その
あいだの細い道を、探しながら書きました。
私が日々やっているような仕事を、そのまま
の手触りで、それでいて、分かるように。う
まくいっているといいのですが。
それでも、もし、よく分からないところが出
てきたら。ぜひ、その部分を、AIに聞いて
みてください。きっと、あなたに合わせて、
分かりやすく解説してくれます。――それが
できる時代になったこと自体が、この小説の
書こうとしていることの、ひとつの答えなの
かもしれません。
そして、いま。
私はいま、自分が「これはいい」と思う挙動
をする、AIエージェントを作っています。
お客さんが、それを、SaaSとして売り始
めました。AI社員も作っています。そして
――そのAI社員たちが、この小説の中で描
いたのと、同じように、振る舞い始めていま
す。
タクヤやリナたちの仕事は、これからも続き
ます。でも、その続きは、もう少し、未来が
見えてから、書こうと思っています。いま目
の前で起きていることが、当たり前になって、
それから数ヶ月くらい経たないと、この先が、
私にも読めないからです。本当に、そういう
時代の、まっただ中に、私たちはいます。
だから、続きは、もう少しだけ、お待ちくだ
さい。
それまで――ようこそ、東京ネット工務店へ。
また、現場で、お会いしましょう。(海老澤
敦)