2026年7月28日/株式会社東京ネット工務店 海老沢敦
① 事実
「2025年の崖」という言葉を、聞いたことがあると思います。
2018年に経済産業省が出した報告書が使った言い方です。日本企業の多くが、古い基幹システム(会計・在庫・受発注など、会社の背骨にあたる仕組み)を抱えたままになっている。2025年には、21年以上動き続けているものが全体の約6割になる。 作った人はもう定年でいない。このまま放っておくと、2025年以降、年間で最大12兆円の損失が出る——そう警告した報告書でした。
その2025年は、去年です。
では、崖から落ちたのか。落ちていません。 起きたのは、二つのことでした。
一つ目。刷新は、少しずつ進んでいます。 「うちに古いシステムは無い」と答えた企業は、2022年度の12.2%から、2023年度には24.0%へ。1年で倍になりました。
ただし、同じ調査の同じ図に、もう一つの数字が載っています。 「分からない」と答えた企業が12.3%。そしてDXに取り組んでいない企業だけで見ると、31.5%——3社に1社が、自社に古いシステムがあるかどうかを答えられていません。調査した側も「把握できていないことは問題である」と書いています。
さらに、順番が逆になっている数字があります。 「古いシステムは無い」と答えた割合は、DXに取り組んでいる企業が21.9%、取り組んでいない企業のほうが高くて29.3%。手をつけていない会社のほうが、「無い」と答えているのです。
この号の後半で、この一点に戻ってきます。
二つ目。期限のほうが引き直されました。
同じ経済産業省が後に出した続編(2020年12月)で、「2025年までに刷新すべき」という主張そのものが訂正されました。 論点は「古いシステム」から「古い企業文化からの脱却」へ移っています。関連して、多くの企業が使う業務ソフトのサポート終了時期も、2025年から2027年へ延びました。ただし、全部が延びたわけではありません。古い版は、予定どおり2025年末で終わっています。
Vol.08で書いたことが、そのまま起きています。「この日までに」という期限は、来ても消えません。もう一本、先に引き直されるだけです。
三つ目。読むための道具が来ました。
AIが、古いプログラムを読み解く用途で使われはじめました。数百万行のプログラムを機械が読み込んで、どこを直すとどこに影響が出るか、「この条件のときは値引きする」といった業務の決まりがどこに埋まっているか、入れた数字がどの画面を通ってどこに溜まるかを、一覧にして出す。設計書——この仕組みが何をどうするために作られたかを書いた説明書——が一枚も残っていないシステムから、AIがその説明書を作り直すサービスも出ています。国内の大手ベンダーが提供を開始し、AIの開発元自身も「COBOL(半世紀前から使われている、事務処理向けの古いプログラム言語)の技術者はもういない」として、その読み解き方を公開しています。
従来なら数年かかっていた移行を、数ヶ月に——そう言われています。ただし、これは各社が「目指している」段階の話です。
どの資料にも同じ注意書きが付いています。
元のコードをそのままAIに読ませると、一見正しく見えて、元と違う答えを出すことがある。 金融の計算では、四捨五入の差が重大な誤差になる。
<strong>間違っていても、警告は出ません。</strong> 数字がきちんと並んで出てくるので、合っているように見える。Vol.07で書いた<strong>「エラーは出ない」</strong>が、ここでも同じ形で出ています。
四つ目。現に動いているところは、AIだけでやっていません。
2025年10月、トヨタ系の情報システム会社が、日本IBMの支援を受けて「レガシーコードラボ」(レガシー=古くなったまま使われ続けている仕組み)という組織を立ち上げました。狙いは、古い言語をほとんど触ったことのない若手でも、生成AIを使って基幹システムの開発・保守に入れるようにすることです。
そこには、もう一つ付いています。その基幹システムに精通した有識者が、アドバイザーとして入る。現場の知識と、その会社固有のやり方を引き継ぐため、と説明されています。
同じ形が、別のところでも作られています。大手のシステム会社が2024年にベトナムの開発会社と作った合弁会社は、「維持する・改善する・移行する」を一体で扱う出口づくりを掲げ、日本のベテランとベトナムの若手を組み合わせる設計になっています。
AIで読ませるだけでは足りない——それを、いちばんよく分かっているのは、現に取り組んでいる側でした。どちらにも、「分かっている人」がセットで付いています。
並べます。
- 期限は、引き直された
- 読む道具は、来た
- それでも、と言われている
- そして、実際に動いているところは、必ず人をセットにしている
出典:
- DXレポート ~ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開~(経済産業省・2018年9月7日/21年以上稼働の基幹系システムが2025年に約6割、最大12兆円) https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/dx/20180907_02.pdf
- 【一次・2026-07-30 確認済】レガシーシステムの状況(IPA『DX動向2024』図表2-15「レガシーシステムの状況(経年変化およびDX取組状況別)」/2022年度日本 n=542:「レガシーシステムはない」12.2%/2023年度日本 n=1,002:24.0%、うちDX取組あり n=744:21.9%、DX取組なし n=184:29.3%/「わからない」2022年度18.5%→2023年度12.3%、DX取組なしは31.5%。本文に「レガシーシステムの有無を把握できていないことは問題である」と明記) https://www.ipa.go.jp/digital/chousa/dx-trend/eid2eo0000002cs5-att/dx-trend-2024.pdf
- 続編での方針転換(DXレポート2(中間取りまとめ)・2020年12月28日=「DX=レガシーシステム刷新」という誤解を指摘し、DXの本質を「レガシー企業文化からの脱却」とした。※当初「DXレポート2.2(2022年7月)」と帰属していたが誤り。2.2はデジタル産業宣言・デジタル人材が主題) https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_transformation_kasoku/pdf/20201228_3.pdf (※meti.go.jpは自動取得をブロックしており一次PDFの直接引用は未取得。二次複数で一致/配信前に手で開いて確認)
- 業務ソフトのサポート終了2025→2027(全面延長ではない。古い版は予定どおり2025年12月末で終了し、延長対象は特定の版以上) https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/03617/ / https://www.obc.co.jp/360/list/post375 (※二次)
- AIによるレガシーコードの解析・設計書生成(各社の動きとベンダーの説明) https://renue.co.jp/posts/legacy-modernization-mainframe-migration-cobol-ai-cloud-guide / https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/2603/26/news063.html / https://oproduct.ai/articles/1111331 / https://magazine.algomatic.jp/ai-modernization-cobol-spec-generation
- レガシーコードラボ(トヨタシステムズ/日本IBM・2025年10月設立。生成AIの活用と、基幹システムに精通した有識者によるノウハウ継承をセットにした組織) https://jp.newsroom.ibm.com/2025-11-27-Legacy-Code-Lab-with-Toyota-Systems / https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000681.000046783.html / https://it.impress.co.jp/articles/-/28665
- COBOL PARK(SCSK/FPTジャパンホールディングスの合弁。維持・改善・移行を一体で扱い、日本のシニア人材とベトナムの若手人材を組み合わせる) https://www.scsk.jp/news/2024/pdf/20241029_2.pdf / https://www.scsk.jp/news/2025/pdf/20251211.pdf
- ※参考(経済産業省・2025年5月28日リリース) https://www.meti.go.jp/press/2025/05/20250528003/20250528003.html
② 構造 — 読めるようになったのは、コードのほうだけだった
古いシステムを抱えている会社は、大企業だけではありません。
十年、二十年前に作られた仕組みが、いまも会社の背骨として動いている。作った人はもういない。触れる人もいない。それでも毎日、問題なく動いている。 ——中小企業では、ごく普通の光景です。
そこにAIが来て、コードを読めるようになった。では、作り直せるようになったのか。
現場では、そうなっていません。詰まるのは、業務のほうだからです。
「そろそろ作り直したい」と相談を受けます。ところが、話が進みません。 理由は三つあって、全部つながっています。
一つ目。理由が、両側から消えています。
Vol.10で書いたとおり、システムに残っているのは決まった結果だけです。なぜその順番なのか、なぜその項目が要るのかは、書かれていません。
では、その「なぜ」はどこにあったか。業務の側にありました。 当時それをやっていた人の頭の中に。
ところが、その業務のほうも、いまは形だけになっています。 なぜやっているのか、もう誰も説明できない。つまり、両側から消えている。
だから「作り直したい」とは言えても、「何を作り直すのか」が言えません。
二つ目。形だけになった仕組みからは、要望が出てきません。
これがいちばん厄介です。
こちらから「こういう形にしますが、どうですか」と投げます。返ってきません。 意見が無いのではありません。入れ替えたあとに自分の仕事がどう変わるかを、想像できないのです。
実際に業務がその仕組みに乗っていないので、変えても何も起きない。何も起きないなら、良いも悪いも判断できない。 結果として、的外れな要望だけが出てきたり、何も返ってこなかったりします。
使われていないから、変えても何も起きない。何も起きないから、設計もできない。
「要件定義——作る前に、何をどう作るかを聞き取って決める作業——をしっかりやりましょう」が効かない理由の、いちばん具体的な形がこれです。しっかりやろうにも、答えられる人がいない。
三つ目。立ち位置が曖昧で、正解が人数分あります。
一部の機能しか使っていない。人によって使い方が違う。 同じ画面を、Aさんは受注の記録に使い、Bさんは在庫のメモに使っている。どちらも十年そうしてきた。
では、どちらが正しい使い方なのか。 決まっていません。「結局、誰が決めるのか」——Vol.09で書いたその話が、日々の細かい使い方のレベルで出てきた形です。
同じ「古くて汚い仕組み」でも、作り直しやすいものがあります。
ネット通販です。
二十年動いてきた通販サイトが、まったく別の用途のために作られた仕組みに、五十個以上の機能を継ぎ足して出来ている——そういう状態でも、建て直せます。なぜか。
外の形が、決まっているからです。
買い物かごがあり、注文があり、在庫があり、決済があり、配送がある。この並びは、世の中で共通です。 だから、目の前の会社の担当者が説明できなくても、型のほうから復元できます。「ここは注文を確定させる処理のはずだ」「決済の確認が抜けている」——書かれていなくても、外から補える。
独自の業務フローには、この型がありません。
だから、理由が失われたとき、一緒に失われます。 補う先が、どこにも無いからです。
AIが復元できるのは、どこかに書いてあることまでです。
コードには、決まった結果が書いてあります。だからAIは読めます。しかし、書かれなかったものは、読めません。 そして書かれなかったのは——Vol.10で見たとおり——「なぜ」のほうでした。
ここで、同じ問題を何百年も扱ってきた分野があります。歴史学です。
織田信長や武田信玄の書状が、いまも残っています。花押があり、日付があり、宛先が書いてある。それでも歴史家は、それを「起きたことの記録」としては扱いません。
その手紙が、実際に相手に届いたかどうかが分からないからです。 届いたとして、相手が納得したかも分からない。書いた側の思ったとおりに受け取られたかも分からない。残っているのは、「そう書かれた」という事実だけです。
だから歴史学には、史料を読む技術とは別に、史料をどこまで信じるかを判断する技術があります。他の史料と突き合わせる。書いた人の立場を考える。当時の常識に照らす。一通だけでは、何も確定しません。
古いシステムのコードは、これと同じものです。
そこに処理が書いてあることは分かります。AIが読めるのは、ここまでです。その処理が実際に使われているかは、コードには書いてありません。 書いてあるとおりに現場が回っていたのかも、分かりません。
書いてあることと、起きていたことは、別です。
——先ほどの三つ目、「人によって使い方が違う」を思い出してください。コードは一通りしか書かれていないのに、現場では二通りに使われていました。 書いたものと起きたことは、実際にずれます。
①で並べたあの数字も、同じ性質のものです。
「うちに古いシステムは無い」24.0%。これが証明しているのは、そう答えた企業が24.0%あったということだけです。実際に無かったことの証明ではありません。だから、手をつけていない会社のほうが「無い」と答える(29.3%)という、順序の逆転が起こります。見ていない会社は、「無い」と答えられるからです。
点検した結果として「無い」と答えた会社と、点検していないから「無い」ことになっている会社が、同じ24.0%の中に入っています。 数字は、その二つを区別しません。「分からない」と正直に答えた3社に1社のほうが、自社を見ています。
歴史家が一通の書状を読めるのは、突き合わせる相手があるときだけです。 同時代の記録、相手側の返書、後年の編纂物。照らし合わせるものがあるから、読める。
ネット通販が建て直せるのも、同じ理由でした。世の中に、突き合わせる相手がある。 独自の業務フローには、それがありません。一通しか残っていない書状と、同じです。
型のある領域では、それでも構いません。世の中に共通語があるので、外から補えるからです。 型の無い領域では、補えません。
つまり——
型があるものは、理由が失われても復元できる。型が無いものは、理由と一緒に失われる。
そして、ここがVol.12とつながります。あの号では、パッケージ(既製のソフト)に寄せることの効き目として、人が動けるようになることを挙げました。求人に書ける。経験者がいる。教材が外にある。
あれも、同じことでした。 型があると、人が替わっても続けられる。 型があると、理由が消えても復元できる。
同じ性質が、二段で効いています。
| 型があると | |
|---|---|
| 仕組み | 理由が失われても、復元できる |
| 人 | 担当が替わっても、続けられる |
読む道具が来ても、<strong>この二つは埋まりません。</strong><strong>AIが読めるのは、書かれたもののほうだけだからです。</strong>
①で見た二つの取り組みは、そこを正確に押さえていました。AIで若手が入れるようにする。そこに必ず、分かっている人を付ける。
AIは、分かっている人がいる間にしか効きません。 その人がいなくなってからでは、読ませる材料も、答え合わせをする相手も、残っていないからです。
つまり、これは期限のある話です。分かっている人が、まだ社内にいるうちにしかできません。
③ 経営者の自分事
この号は、解決した話ではありません。 私がいま、実際に詰まっている場所の話です。
「作り直したい」と相談を受けます。受けたい仕事です。それでも、うまくいかないことがあります。
聞き取りをしても、返ってくるものが薄い。仕様を投げても、反応が無い。こちらも「これで合っているのか」と思いながら設計しています。 確信が持てないまま線を引いて、後で違っていた、ということが起こります。私の側の失敗です。
そして、これは腕の問題ではないと思っています。②で書いたとおり、答えられる人が、その会社にいないからです。 悪意でも怠慢でもありません。理由が、もう誰の手元にも無い。
だから——この号には、うちに頼めば解決します、という結びが付きません。 頼まれた側でも、解けないことがあります。