2026年8月10日/株式会社東京ネット工務店 海老沢敦
① 事実
2026年1月から、企業向けの保険に、こういう特約が付けられるようになりました。
生成AIに起因する、または生成AIに帰属する、身体傷害・物的損害・人格権や広告に関する侵害は、補償しない。
米国の話です。 作ったのはISO(Insurance Services Office)——企業向け保険の標準的な条文を作っている業界団体です。
特約は3種類あります。
- CG 40 47 01 26 ——いちばん広い除外。 身体傷害・物的損害・人格権や広告に関する侵害の、全部
- CG 40 48 01 26 —— 人格権や広告に関する侵害だけを除外(狭いほう)
- CG 35 08 01 26 —— 納品した製品や、引き渡し済みの仕事が原因で、あとから事故が起きたときの責任を除外
2026年1月1日以降の更新から、保険会社がこれを付けられるようになりました。
3つとも、付けるかどうかは保険会社の任意です。 ただし、採用は加速しています。
これまでは、どうだったのか
保険の世界では、この状態を<strong>「Silent AI(サイレントAI)=沈黙しているAI」</strong>と呼んでいます。
保険証券のどこにもAIとは書かれていない。だが、AIが絡む事故が起きたとき、既存の補償で払われていた(かもしれない)——そういう状態を指します。
法律事務所の解説では、こう説明されています。
AIリスクを、AIに明示的に言及することなく、既存のサイバー保険や技術者賠償責任保険で暗黙的にカバーしていた実務
タグ=契約, 制度
書いていないから、払われるかどうか分からない。
その曖昧さが、除外の方向で片付けられようとしています。
補償が、ばらばらになっていく
もう一つ、指摘されていることがあります。
AIの事故は、一つの保険では受けきれません。
同じAIが起こした一つの出来事でも、訴える側がどう主張を組み立てるかで、当たる保険が変わります。
解説にある例です。
AIを使った採用ツールによる差別の申立ては、雇用慣行に関する請求として扱われる可能性が高く、雇用慣行賠償責任保険の範囲に入る——あるいは、完全に除外される。
- サイバー保険(情報が漏れたり、システムが止まったりしたとき)
- 技術者賠償責任保険(作ったものの不具合で、相手に損害が出たとき)
- 役員賠償責任保険(経営の判断そのものが問われたとき)
- 雇用慣行賠償責任保険(採用や労務のことで訴えられたとき)
それぞれの保険会社が、それぞれ独自に、AIの補償を狭めています。
その結果、こうなります。
除外条項が積み重なって、どの保険も応答しない。
どこかが払ってくれるだろう、が成り立たなくなります。
正直に、二つ書いておきます
一つ。実際に支払いを断られた事例も、裁判も、まだ確認されていません。
いま出ているのは、これから起きることへの備えの話です。「もう払われなかった人がいる」という段階ではありません。
二つ。「生成AI」が何を指すのか、条文の定義が公開されていません。
様式そのものは有料で、業界の解説記事にも、定義の文言は出てきません。
何が除外されるのかが分からないまま、除外条項が付き始めている、という状態です。これは②で、いちばん重い問題になります。
日本では
探しましたが、同じ動きは見つかりませんでした。
出てくるのは、保険会社がAIをどう使うか(照会対応や支払業務の効率化)という記事ばかりです。保険会社が、AIの事故をどう扱うかの話は、まだ表に出ていません。
まだ来ていないのか、報じられていないだけなのかは、分かりません。 ただ、保険の約款は、輸入されます。
保険ブローカーが、顧客に勧めていること
大手の保険仲介会社が、企業向けに4つ挙げています。
- 自社のどこでAIが動いているか、洗い出す
- 人が確認する工程を含む、社内の統治を作る
- 自社の保険に、この特約が入っているか確認する
- 発注者との契約で、補償の前提を見直す。下請けとの契約の文言も調整を検討する
出典:
- 【一次に近い・2026-08-10 確認済】Fenwick「The End of 'Silent AI'? Emerging AI Exclusions, Coverage Fragmentation, and Practical Implications for Policyholders」(2026年6月15日)
- Silent AI の定義=「implicitly covering AI risks through existing cyber and technology errors and omissions (Tech E&O) policies without express reference to AI」。
- Silent Cyber の前例=「this transition mirrors the evolution of cyber risk, which was initially treated as 'silent cyber' exposure under traditional policies before insurers introduced exclusions, affirmative cyber endorsements, and standalone cyber products」。
- 2026年1月、ISOがCGLに生成AI除外条項を導入。 除外の対象=「bodily injury, property damage, and personal or advertising injury arising out of, or attributable to, generative AI」。
- D&O・EPLI・受託者賠償責任で「absolute(絶対的)AI除外」を導入した保険会社がある(⚠️ 社名は挙げられていない)。
- 断片化の具体例=「A claim alleging discrimination arising from an AI-driven hiring tool is more likely to be treated as an employment practices claim and fall within EPLI (or be excluded entirely).」/除外が "stack"(積み重なり)、どれも応答しない状態が生じる。
- ⚠️ 実際に否認された請求も訴訟も、この記事には無い(「emerging market trends and hypothetical scenarios」)。本文でも正直に書いた。
- https://www.fenwick.com/insights/publications/end-silent-ai-emerging-ai-exclusions-coverage-fragmentation-and-practical-implications
- 【一次に近い・2026-08-10 確認済】Gallagher(大手保険ブローカー)「ISO Introduces Generative AI Exclusion in Commercial General Liability Policies」
- 様式の正式名=「CG 40 47 01 26 — Generative Artificial Intelligence Exclusion」。
- 顧客への助言4点=①AIツールがどこで動いているか特定 ②人による確認を含む社内統治の確立 ③自社のCGLにこの特約が入っているか確認 ④発注者との契約で補償の前提を見直し、下請け契約の文言も調整を検討。
- 建設業が主な焦点(公共事業・複数フェーズの大規模案件で保険要件が厳しいため)。
- ⚠️ 「生成AI」の定義文言は、この解説にも無い。
- https://www.ajg.com/news-and-insights/iso-introduces-generative-ai-exclusion-in-commercial-general-liability-policies/
- 【二次・様式番号の裏取り】 CG 40 47 01 26(Coverage A+B の全面除外)/CG 40 48 01 26(Coverage B のみ)/CG 35 08 01 26(生産物・完成作業責任)。2026年1月1日以降のCGL更新から付帯可能、いずれも任意。 提供元は Verisk(ISOの親会社)。
- ⚠️ ISOの様式そのものは有料で未取得。 番号と対象範囲は複数の解説で一致しているが、条文の文言は当たれていない。 特に「生成AI」の定義は未確認。本文でもその旨を明記した。
- 【一次・2026-08-10 確認済/②の歴史循環】Silent Cyber の前例=NotPetya(2017)
- Mondelez International が Zurich American に約1億ドルを請求。 Zurich は証券の「戦争除外条項」を発動して拒否(NotPetyaの攻撃主体がロシア関連とされたため)。
- 数年の係争の末、2022年に和解。 ⚠️ 「the settlement ... ends the trial and without a publicly available decision to ponder or any precedent-setting legal clarity on the issue」=判決が出ず、判例が残らなかった。
- Merck & Co. は同種の争いで約14億ドル。2022年1月に勝訴(戦争・敵対行為の除外は適用されないと裁判所が判断)。
- ⭐ そして、この一連の裁判が保険会社を動かした=「The attack against Mondelez triggered action by insurers to eliminate silent cyber coverage within traditional insurance policies.」国家によるサイバー攻撃を明示的に除外する方向へ。
- 【2026-08-10 追加確認/②を厚くした素材】
- NotPetya の規模=米政府が2018年に「史上最も破壊的で最も高くついたサイバー攻撃」と呼んだ。 ウクライナの標的から始まり65カ国へ。帰属=ロシア軍情報部の Sandworm とされる。
- 被害企業=マースク(海運)/メルク(製薬)/フェデックス(宅配)/モンデリーズ(菓子)。 ⚠️ どこもIT企業ではない。本文でもそこを強調した。
- モンデリーズ=サーバー1,700台・ノートPC 24,000台が使用不能、損害1億ドル超(停止時間・逸失利益・復旧費用)。メルク=14億ドル(生産停止・機器費用・復旧のためのIT人材採用を含む)。
- ⭐⭐ 戦争除外条項の文言=「hostile or warlike action in time of peace or war, including action in hindering, combating or defending against an actual, impending or expected attack by any government or sovereign power」。⚠️ これはサイバー攻撃を想定して書かれた条項ではない。戦争で工場が焼けたときのための古い条項。 本文の対比(サイバー=古い条項で戦った/AI=新しい条項を先に作った)の根拠。
- Lloyd's Market Association の考え方=国家によるサイバー作戦でも、実際の紛争地域の外で起きた場合や、その企業が意図された標的でなかった場合は、除外を適用しない(一定の条件下)。→ 本文の「範囲は、事故が起きてから細かくなる」の根拠。
- 2022年半ば、ロイズが独立サイバー保険に国家支援攻撃の除外を要件化。
- ⚠️ Merck の決着は、資料によって「2022年1月に勝訴」と「和解」の両方の記述がある。 本文では「2022年1月に勝訴(裁判所が戦争除外は適用されないと判断)」までにとどめ、その後の経緯には触れない。
- https://www.brookings.edu/articles/how-the-notpetya-attack-is-reshaping-cyber-insurance/
- https://www.infosecurity-magazine.com/news/notpetya-settlement-may-increase/ / https://www.csoonline.com/article/574013/mondelez-and-zurich-s-notpetya-cyber-attack-insurance-settlement-leaves-behind-no-legal-precedent.html
- ⚠️ 日本の状況は、検索では確認できなかった。 出てくるのは国内保険会社のAI活用(照会対応・支払業務の効率化)ばかり。「見つからなかった」ことを本文でもそのまま書いた。
② 構造 — 保険会社は、二度目は待たなかった
これは、初めて起きたことではありません。
サイバー保険で、まったく同じことが起きています。順番まで同じです。
前回:サイバーのとき
2017年、NotPetyaという攻撃が世界中の企業を止めました。
ウクライナの標的から始まり、65カ国に広がりました。 米政府は2018年に、これを史上最も破壊的で、最も高くついたサイバー攻撃と呼んでいます。
止まったのは、IT企業ではありません。
- 海運大手のマースク
- 製薬大手のメルク
- 宅配のフェデックス
- そして、オレオを作っているモンデリーズ
モンデリーズでは、サーバー1,700台とノートパソコン24,000台が使えなくなりました。 損害は、停止していた時間と、失った利益と、復旧の費用を合わせて1億ドル超。
メルクの被害は、14億ドルです。 生産が止まった分、機器の費用、復旧のために新しく雇ったIT人材の費用まで含めた額です。
どこも、AIやITを売っている会社ではありません。 お菓子と、薬と、船と、宅配です。
モンデリーズは、保険会社に請求しました。
保険会社は、払いませんでした。
理由は「戦争」です。
証券には昔から、こういう条項が入っていました。
平時・戦時を問わず、敵対的または戦争に類する行為による損失・損害。政府または主権国家による、実際の・切迫した・予期される攻撃を、妨害し、迎撃し、あるいは防御する行為を含む。
この条項は、サイバー攻撃を想定して書かれたものではありません。
戦争で工場が焼けたときのための、古い条項です。
NotPetyaの攻撃主体がロシアの軍に関係するとされたため、保険会社は、この古い条項を持ち出しました。
サイバー攻撃は、戦争なのか。
数年、争われました。 そして2022年、和解しました。
判決は出ませんでした。
和解で終わったので、公開された判断が残っていません。 つまり——次に同じことが起きた会社が、参考にできる答えが、無いということです。
別の会社(メルク)は、同じ論点で約14億ドルを争い、2022年1月に勝ちました。 裁判所は「戦争・敵対行為の除外は当てはまらない」と判断しています。
そして、この一連の裁判が、保険業界を動かしました。
モンデリーズへの攻撃が、保険会社を動かした。従来の保険から「沈黙しているサイバー」を無くす方向へ。
曖昧なままにしておくと、裁判になる。裁判になると、負けることもある。
だから、明示的に書くようになりました。
2022年半ば、ロイズ(世界最大級の保険市場です)が、独立したサイバー保険には、国家が支援する攻撃の除外を必ず入れるように、と要件化しました。
そして、範囲を細かく決め始めました。
たとえば、同じ国家の攻撃でも、紛争が実際に起きている地域の外で起きた場合や、その企業が狙われた相手ではなかった場合は、除外を当てない、という考え方が示されています。
範囲は、事故が起きてから、細かくなる。
事故が起きるまで、誰も細かく決めません。決める必要が無いからです。
対比が、いちばんはっきりするところ
サイバーとAIの違いを、一つだけ挙げるとすれば、ここだと思います。
サイバーのとき、保険会社は「古い条項」で戦おうとしました。
戦争除外は、工場が焼けたときのために書かれた文章です。それをサイバー攻撃に当てました。そして、争いになりました。
AIでは、そうしていません。
新しい条項を、先に作りました。
既存の文章で戦うのをやめて、最初から書くことにした。
これは、前回の授業料だと思います。
今回:AIのとき
順番が、違います。
サイバーのときは、こうでした。
- 書いていない(沈黙)
- 大きな事故が起きる
- 払う・払わないで裁判になる
- 保険会社が明示的に除外し始める
AIでは、こうなっています。
- 書いていない(沈黙)
- ——
- ——
- 保険会社が明示的に除外し始める
事故と裁判が、飛ばされています。
①に書いたとおり、実際に支払いを断られた事例も、裁判も、まだ確認されていません。
保険会社は、二度目は待たなかった。
前回で、待つと高くつくことを学んだからだと思います。
なぜ、保険が先に動くのか
規制の議論は、まだ続いています。 本紙のVol.08で、制度は「どこまでなら安全か」ではなく「誰が試験するか・何を届け出るか」という手続きから先に固まる、と書きました。それは、いまも決着していません。
保険は、先に動きました。
理由は単純だと思います。
保険会社は、自分の金を賭けているからです。
規制は、議論している間、誰も損をしません。保険は、書き方を間違えると、その分を自分で払うことになります。
だから、分からないものは引き受けない。
「除外する」というのは、「危ない」という意味ではありません。
「値段が付けられない」という意味です。
保険は、危険なものでも引き受けます。確率が読めるなら。火事も、事故も、病気も、値段が付いています。
値段が付かないのは、確率が読めないときです。
AIの事故は、いま、そこにいます。
いちばん重い問題——「AIに起因する」とは、どこまでか
①で書いたとおり、条文の定義が公開されていません。
そして、これは言葉の綾ではありません。実務で必ず問題になります。
たとえば、こういう事故を考えてみてください。
AIが、送り先のリストを作りました。 完璧に作りました。一件も間違えていません。
それを受け取った担当者が、表計算ソフトに貼り付けて、見やすいように名前の列だけを並べ替えました。
名前だけが動いて、宛先と本文は元の順のままになりました。
そして、送信されました。
他人の名前と、他人の注文履歴が載った案内が、別の人に届きます。
これは、「生成AIに起因する」事故でしょうか。
AIは、何も間違えていません。
ですが、AIが出した形式のものを人が触ったから起きました。 AIが無ければ、この形の作業も、この形のミスも、ありませんでした。
「起因する」は、どこまで伸びるのか。
保険会社は広く読みたい。加入者は狭く読みたい。
そして、それを決めるのは——裁判所です。
つまり、サイバーのときと同じ場所に、また戻ります。
そして、リスクは消えません
保険が引き受けなくなったからといって、リスクが無くなるわけではありません。
誰かが負っています。
①で挙げた、保険仲介会社の助言の4番目を、もう一度読んでみてください。
発注者との契約で、補償の前提を見直す。下請けとの契約の文言も調整を検討する。
これは、こういう意味です。
保険で移せなくなった分を、契約で下へ移す。
大企業は、保険でリスクを外に出していました。 出せなくなりました。では、どこへ出すか。
保険が引き受けなくなったリスクは、消えません。契約を通って、下へ流れます。
そして、いちばん下には、保険に入っていない会社がいます。
——ただし、話はそこで終わりません
いちばん下は、受け止められません。
保険に入っていない会社に、大きな賠償を負う力はありません。だから、契約で自分の責任を限定します。 「ここまでしか負いません」と書きます。
そして、それは通ります。
小さいところに頼む側も、相手にそれだけの体力が無いことは、分かっているからです。無いものは、取れません。
つまり、こうなります。
リスクは下へ流れる。だが、いちばん下では受け止められない。
だから、跳ね返って、発注した側に戻る。
そして、戻ってきていることに、たいてい気づいていません。
「外に出した」と思っているからです。
②の芯を、一行にします。
保険が降りるのは、危ないからではなく、値段が付けられないから。
そして、降りた分は消えず、契約を通って下へ流れる。
③ 経営者の自分事 — 私は、契約の文言を書く側にいません
②で、リスクは契約を通って下へ流れる、と書きました。
当社は、流れてくる側にいます。
ここで、正直に書いておきたいことがあります。
契約書は、たいてい、相手から出てきます。
こちらから直しをお願いすることはできますし、実際にお願いもします。ですが、全部は通りません。 そして、通らなかったからといって、断れる立場でもありません。
②の最後に書いたとおり、その契約を書いているのは、たいてい、上の側です。
値段を決められない側は、リスクの向きも決められません。どちらも、文言を書く側が決めています。
それは、同じことです。
小さい会社にとって、これは日常です。 特別な話ではありません。
そして、②で自分が書いたことに、あとから気づきました。
リスクは下へ流れる。ですが、いちばん下では受け止められません。
大きな賠償を負う体力が、無いからです。あると言うほうが、嘘になります。
だから、契約で止まります。
止まった先は——発注した側です。
そして、たいていの場合、そのことは伝えられていません。
「外に出した」と思ったまま、話が終わっているからです。
だから、当社ではお客様に、二つ申し上げています。
一つ。ご自身で保険に入るか、少なくとも、いくらまでなら耐えられるかを計算しておいてください。
何かあったときに失うものの大きさは、当社ではなく、お客様の側にあります。 守るべきものがある場所と、備えるべき場所は、同じです。
二つ。御社も、利用者に対して免責を置いてください。
当社が納めたものを、お客様はご自分のお客様に使わせます。 そのとき、お客様は、提供する側になります。
同じことが、そこでも起きます。
何かあったときに、御社が全部を負えるのか。 負えないなら、そう書いておかないと、負うことになります。
ここまで書いて、この話の形が、はっきりしました。
免責は、連鎖します。
保険が引き受けない。契約で下へ流す。下では受け止められない。だから契約で止める。
止まった分は、発注した側に戻る。
そして、戻った発注側も、自分の利用者に対しては、提供する側です。
そこでも、同じことをします。
では、最後はどこへ行くのか。
いちばん端にいるのは、そのサービスを使っている、普通の人です。
誰も、嘘をついていません。
各段階で、負えないものは負えない、と正直に書いているだけです。
ただ、全部つなげると、そうなります。
私も、その連鎖の一部です。
お客様に「免責を置いてください」と申し上げているのは、お客様を守るためです。それは本当です。
そして同時に、その先へ送っていることでもあります。
両方が、同じ一つの助言です。
もう一つ、書いておきたいことがあります。
「AIのリスク」と一括りにすると、話が雑になります。
何を売っているかで、中身がまったく違うからです。
当社の場合、起こりうることを並べると、こうなります。
一つ。AIが書いたプログラムに不具合があって、障害が出る。
あり得ます。ですが、人が書いても起きます。 そして正直に言えば、人が書いていた頃のほうが多く起きていました。 復旧も、いまはAIのほうが速いです。
二つ。AIが、送り先や対象のリストを取り違える。
あり得ます。 ただし、そもそも取り違えられない作りにしてあります。 ②で見た「表計算で並べ替えた」ような隙間を、あらかじめ塞いでおく、ということです。
三つ。AIが、公開してはいけない場所にファイルを置いてしまう。
これは、ほぼ起きません。 私の実感では、この点についてはAIのほうが慎重なくらいです。
四つ。AIとの対話で、AIが間違ったことを言う。
これは、あります。
そして、当社にとっての現実のリスクは、ほとんど四つ目です。
物が壊れる話ではありません。何を言ったか、という話です。
——ここで、①に戻ります。
除外の特約には、広い版と狭い版がありました。
狭いほう(CG 40 48)が外しているのは、「人格権や広告に関する侵害」だけです。
言い換えると、言ったことによる被害です。
保険会社が「せめてここだけでも外しておきたい」と考えた場所と、当社の現実のリスクは、同じところにありました。
そして、なぜ四つ目だけが塞げないのか。
一つ目から三つ目は、確かめられます。 動かして試せる。ルールで塞げる。機械が見つけられます。
四つ目は、確かめようがありません。
文としては正しい。筋も通っている。ただ、内容が違う。
本紙のVol.01で書いたことと、同じです。
正しく動くかどうかと、それが妥当かどうかは、別です。
そして後者は、コードの外にあります。プログラムのどこにも書かれていない、会社の事情の側です。
お客様との契約には、AIの利用と責任に関する条項があります。
これは、以前から入れています。
ただし、正直に書きます。何かが起きたときにどうなるかは、中身次第です。
契約に書いてあることと、実際に何が起きるかの間には、まだ距離があります。 「こういう場合はこう」と全部書き切れているわけではありません。
本紙のVol.09で「決めていないことは、放っておくと自然に溜まる」と書きました。 うちにも、溜まっています。
お客様から、聞かれることがあります。
「それ、AIが書いてるんですよね。何かあったら、どうなるんですか」
私はこう答えています。
「人間が書いても、もっとバグりますよ」
これは、本当です。
当社の場合、いまはAIに書かせたほうが、不具合は少なくなっています。
——これも、変に聞こえるかもしれません。 AIが書いたものは危ない、と聞くことのほうが多いと思います。
理由は、努力や集中力の差ではありません。二つあります。
一つ。覚えている量が、違います。
プログラムは、既製の部品を大量に組み合わせて作ります。
人間も、ちゃんとやっています。 部品の使い方を書いた説明書を読んで、だいたい頭に入れる。書いたものを静的解析(プログラムを動かさず、機械に中身を点検させること)にかける。 必要なら、部品そのものの中身まで読んで、壊れない形を確かめる。
私も、そうやってきました。
それでも、追いつきません。
AIの中には、その説明書が、はじめから全部入っているからです。
二つ。一度に読める範囲が、違います。
プログラムは、たくさんのファイルに分かれています。人間が一度に読めるのは、せいぜい数ファイル分です。 AIは、全体をまとめて見ます。
「ここを直すと、あちらが壊れる」に気づけるかどうかは、どこまで見えているかで決まります。
この二つは、人間には真似できません。
頑張れば追いつく、という種類の差ではないからです。
そして、この差は、これから開いていくと思います。
作るものが、複雑になっているからです。
いまの開発は、覚えておかなければならない範囲が、以前よりずっと広い。組み合わせる部品が増え、それぞれに作法があり、互いに影響します。
そして、AIで速く作れるようになった分、作られるものは大きくなります。
大きくなれば、必要な知識の範囲も広がります。
広がれば、人間が把握できる範囲を、さらに超えます。
そして、超えた分は、またAIに頼ることになります。
前号で、「頑張れば誰でもできる」という前提が間違いだった、と書きました。 これは、その相手がAIになった場合の話です。
——ただし、「だから人間が要らない」という話ではありません。
本紙のVol.01で書いたとおり、コードが正しく動くかどうかと、それが事業として妥当かどうかは、別です。
後者は、コードの中には書かれていません。
AIが読めるのは、書かれているものだけです。
本紙のVol.01で、AIが生成したコードの48%に脆弱性の疑いがある、という数字を紹介しました。あれは事実です。 ですが、人が書いていた時代も、バグはいくらでもありました。 「AIだから危ない」は、論点が雑です。
——ですが。
この答えは、「誰が払うのか」の答えにはなっていません。
私は、品質の話をしています。お客様が聞いているのは、たぶん、責任の話です。
質問と答えが、ずれています。
そして、ずれたまま、話が終わっています。
もう一つ、書いておきたいことがあります。
②で挙げた「表計算で名前の列だけを並べ替えた」という事故を、私は一度、書いたことがあります。
小説の中でです。
数年前、この形の事故を想像して、起きたらどうなるかを、話の形で試してみました。 AIは完璧に動いていて、人が普通の操作を一つしただけで、他人の情報が別の人に届く。「御社の操作ミスです」と言えば終わる話でした。
書いたときは、まだ保険の除外条項の話は出ていませんでした。
いま読み返すと、あれは「誰が払うか」の話だったのだと思います。
そして、そのとき私が書いた答えは、こうでした。
ミスができる作りだったのが、こっちのミスです。
——これは、契約書には書けません。
書けませんが、実際にはそう思っています。 そしてそう思っている限り、払うのは自分になります。
明日できることを書きます。
保険証券を、一度出してきてください。
そして、更新のときに増えた紙が無いか、見てみてください。
特約は、たいてい黙って増えます。 保険料が下がるわけでもなく、説明があるわけでもなく、紙が一枚増えるだけです。「除外」と書いてある紙は、たいてい読まれません。
①で挙げた特約の番号を、そのまま書いておきます。米国の様式なので、日本の証券にはこの番号はありません。ですが、同じ性格のものが来たときに、形が分かります。
- CG 40 47 01 26 / CG 40 48 01 26 / CG 35 08 01 26
もう一つ。
取引先との契約に、AIについて何か書いてあるか、確かめてみてください。
書いていない場合、それは「決めていない」ということです。 決めていないことは、事故が起きるまで、誰にも見えません。
そして、もし書いてあるなら——それを書いたのが、自分の側なのか、相手の側なのかを見てください。
契約の文言を書いた側が、リスクの流れる向きを決めています。
もう一つ。今度は、発注する側としての話です。
外に出している仕事の契約書を、一枚出してみてください。
相手の責任が、どこまでと書いてありますか。
「損害賠償は、受け取った報酬の額を上限とする」
よくある書き方です。
それで足りるかどうかは、その仕事が止まったときに、いくら失うかで決まります。
足りないなら——その差額は、いま、あなたのところにあります。
外に出したつもりでも、出ていません。
②で書いたとおりです。いちばん下では、受け止められません。
「では、書き直せばいいのか」と思われるかもしれません。
たいていの場合、無理です。
こちらから直しをお願いして、通ることもあります。通らないこともあります。そして、通らなかったからといって、断れる立場でもありません。
ですから、私が言えるのは、これだけです。
知らずに署名するのと、知ったうえで署名するのは、違います。
同じ紙に判を押すとしても、後者なら、何が起きうるかは分かっています。
分かっていれば、少なくとも、備え方は変えられます。 作業の記録を残す。手を入れた順番を残す。何かあったときに、こちらの側で何が起きたかを示せるようにしておく。
本紙のVol.13で「記録は残る。届いたかどうかは残らない」と書きました。 争いになったとき、残っているものだけが物を言います。
そして、②で見たとおり——モンデリーズの一件は、和解で終わりました。判決は出ていません。
次に同じことが起きた会社が参照できる答えは、まだ、どこにもありません。
——明日、こう話してみてください。「保険って、AIの事故はもう対象外になり始めてるらしいよ。……うちの契約、AIのこと何か書いてあったっけ。あれ、どっちが書いた文だっけ」
中国モデル定点
中国のAI企業が、上位のAIをまるごとファイルにして無料で配る動きを続けています。誰でもダウンロードして、自社の機械の中で動かせる形です。
他社のAIは、月々の契約で借りて使うものです。相手がやめると言えば、止まります。ダウンロードして手元に置いたものは、止まりません。
毎号、その月に何が配られたか、そしてそのうち何が実際に自社の機械で動かせたかを短く記録します。
今号:新しく配られたものは、ありませんでした。
この枠を始めてから、まだ一つも動いていません。 前号でお伝えしたアリババの最上位モデルも、配布はまだ始まっていません。
話題になる量と、実際に配られる量は、別のようです。 それも含めて記録します。
なお、すでに手に入るものは、いくつかあります。 動かして分かったことがあれば、この枠に書きます。
CoBANTO3-AIチャット
https://www.netkomuten.tokyo/lp/co-banto3-ai
本紙のバックナンバーを記憶し、本紙の読み方(戦略の階層・歴史循環)で、あなたの会社の状況に当てて答えるAIチャットです。記事は「地図」ですが、地図は現地には当たりません。「この号の話、うちの場合はどうなるのか」を訊く場所として用意しました。
ご利用は事前購入のクレジット制です(1,000円から)。月額の契約ではないので、解約の手続きはありません。使った分だけ減り、無くなれば止まります。
読者登録をいただいた方に、無料クレジットを500クレジット追加させていただきました。ぜひ使ってみてください。
ライトノベル「ようこそ、東京ネット工務店へ」
https://www.netkomuten.tokyo/channels/novel-tnk-part2/articles/ch38
小さなIT企業の現場を書いた小説です。毎号1話ずつご紹介します。
今号の話:〈第二部 第38話「AIは責任を取らない」〉
深夜、顧客のところへ苦情が入ります。案内メールに、他人の名前と注文履歴が載っていた、と。
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