第23章 速いだけ
七月。案件は増える一方だった。
旅館チェーン三軒に、料理旅館、温泉宿。
フロントまわりはほとんど田中くんが抱えて
いた。手が速いからつい振ってしまう。気づ
けば田中くんの画面にはいくつもの案件のタ
ブが開きっぱなしになっていた。
その一つ、旅館サイトの予約フォームを田
中くんに任せた。
サイトの中でいちばん動くところだ。日付
を選んで、人数を入れて、ログインして、予
約する。状態をちゃんと持たないといけない。
本当はいちばん丁寧にやるべき場所だった。
でも、田中くんにはその丁寧さに使う時間
がなかった。何件も抱えていたから。
「フォームっすね。余裕っす。爆速で行きま
しょ」
田中くんはいつもの調子で引き受けた。そ
して本当に速かった。
二日で動くものが上がってきた。AIに聞
いて、似たコードを貼って、つなげて。デモ
で触るとちゃんと日付が選べて、予約ボタン
も効く。田中くんは得意げだった。
「ね、動くでしょ」
「……うん、動くね」
僕は少しだけ引っかかった。動く。でも、
なんだか薄い。中で何が起きてるのか田中く
ん自身が分かっていない気がした。
その予感は本番に出す前の最終確認で当たっ
た。
公開の前日、僕は念のためフォームを自分
で一通り触ってみた。日付を選んで、人数を
入れて、ログインして——途中で画面を更新
してみる。ログインが切れた。入力も全部消
えて最初の画面に戻ってしまった。
これが女将さんのお客さんの手元で起きて
いたら、と思うとぞっとした。間一髪だった。
僕は田中くんを呼んだ。
「これリロードでログイン状態が飛んでる。
認証どうやって持たせてる?」
「いや、ちゃんとうちの認証パッケージイン
ポートしてますよ」
田中くんは自信ありげにコードを見せた。
確かにインポート——よそで作った部品を自
分のコードに取り込む宣言だ——は、してあ
る。それだけがしてあった。
「インポートしただけ?」
「はい。それで、よしなにログイン保持して
くれるんじゃないんすか?」
僕は一瞬言葉に詰まった。
「……インポートは棚から道具を出しただけ
だよ。初期化して、リロードのたびにログイ
ン状態をもう一回読み直す——そこまで自分
で書かないと動かない」
「自分で……? いや、パッケージがやって
くれるもんじゃ」
「やってくれない。インポートはできますよっ
ていう箱を置いただけ。中身をいつ、どう動
かすかは田中くんが決めないと」
「……」
田中くんの頭の中のきれいな絵——上にフ
ロント、下にサーバー、インポートすれば、
よしなに——が、ぐらついたのが分かった。
境界線がどこにあるのか見失った顔だった。
「だいたいうちFirebaseだろ。サー
バーがよしなに、なんてやってない。認証も
状態もフロントが直接持ってる。リロードし
たら、メモリの中身は一回消える。だから、
消える前にどこかへ覚えさせて、読み直さな
いと」
Firebase——Googleが出し
ているアプリの土台だ。本来サーバーがやる
データの保管やログインの管理をまるごとク
ラウドが肩代わりしてくれる。おかげで自前
のサーバーを持たなくていい。その代わり、
画面を作るフロント側がクラウドのデータベー
スと直接やりとりする。便利だけど、裏を返
せばフロントのちょっとした動きがそのまま
サーバーの仕事になるということでもあった。
「……はい」
返事はいい。でも、目がついてきていなかっ
た。
僕はそこで苛立った。一年前、白石さんが
僕に根気よく付き合ってくれたことなんてそ
の時は頭から飛んでいた。
「とりあえず自分で調べてみて。初期化して、
リロードのたびにログインを読み直す。それ
だけだから。考えれば分かるよ」
突き放した。早く片付けたくて。自分の案
件も五件抱えていた。
田中くんは「……っす」と小さく言って自
分の席に戻った。いつもの白い歯はなかった。
——夕方。田中くんの席からノートパソコ
ンのファンが唸り始めた。