第27章 AIが書いた
年が明けた。
外濠公園の木はまだ裸のままだ。冷えた朝
の光が枝のあいだを抜けて、いつもの角度で
窓に入ってくる。窓の外のその景色だけは暮
れと何も変わらない。
変わったのはこっちだ。狭いオフィスは相
変わらず狭くて、机は相変わらず肘がぶつか
る。でも、座っている四人はもう春に入って
きた頃の四人じゃなかった。田中くんは詰まっ
ても自分で潜れるようになったし、ハルカさ
んはVPOKEでフロントまで触る。佐藤く
んの作った見張りのおかげで、夜中に請求が
跳ねることも、もうない。
会社の構えは春から変わらない。古くから
のお客さんは相変わらず白石さんと黒田さん
が二人だけの別の組で回している。新しい案
件と若い四人は海老沢さんと僕のほう。——
変わったのはやっぱり、人のほうだった。
教える側なんてまだ偉そうには言えない。
でも、春よりは少しだけ人に預けられるよう
になっていた。
——その朝のことを僕はたぶん、ずっと忘
れない。
いつも通りコーヒーを淹れて、パソコンを
開いた。
夜のうちに動きがあったらしい。プルリク
エストが一件上がっていた。旅館チェーンの
追加案件。先週女将さんから「予約の確認メー
ルもうちらしくしたい」と相談が来ていたあ
れだ。
僕はまだ手をつけていなかった。要件も整
理していなかった。
なのに、PRはできていた。確認メールの
テンプレートを宿ごとに出し分ける仕組み。
コードも、変更点の説明も、テストも、ひと
とおり揃っている。説明文は丁寧な箇条書き
だった。何を、なぜ、どう変えたか。女将さ
んのChatwork——お客さんとの連絡
に使っているビジネス用のチャットだ——の
どのメッセージを根拠にしたかまで引用して
ある。
——蛇足だけど、連絡にChatwork
を使っているのは女将さんがChatwor
kだからというだけのことだ。お客さんごと
に向こうが使っているツールにこっちが合わ
せる。ちなみに、うちの社内の連絡はSla
ckを使っている。Slackも同じような
ビジネス用のチャットで、できることはほと
んど変わらない。日本の会社で広く使われて
いるのがChatwork、エンジニアやI
T寄りの界隈で好まれるのがSlack——
まあ、その程度の違いだ。
差出人を見た。
`AIタクヤ`。
——僕の名前だった。
心臓がいやな鳴り方をした。
ログを遡る。夜中の二時。僕じゃない"僕
"が女将さんのChatworkを読んでい
た。読んで、過去の三軒の作りを参照して
「この女将さんならたぶんこう」と方針を立
てる。
そこからが妙だった。AIタクヤは一人で
は決めなかった。GitHub——Gitと
いうコードの変更履歴を記録する仕組みがあっ
て、それをネット上でみんなが共同で使える
ようにした場所だ——にissueを一本立
てた。issueというのは、相談ごとや決
めごとを一件ずつ立てて、そこで話を詰める
ための開発の現場でいう相談スレッドのこと
だ。タイトルは『確認メールの宿別出し分け:
方針相談』。そして別のセッションで`AI
佐藤`を起こしてそこへ呼んでいた。
『Firestoreの読み出し、宿IDで
分けるならここ気をつけて』とAI佐藤が書
き込む。『了解。テンプレは既存のを継いで、
文面だけ宿ごとに変える』とAIタクヤが返
す。短い。でも、ちゃんとした議論だった。
人間が横から口を挟む隙はどこにもなかった。
話がつくと、issueを閉じて、コードを
書いて、PRを出す。
全部僕が寝ている間に。AIがAIを呼ん
で、AIと相談して、AIで決めていた。ロ
グだけが律儀に残っていた。
——その呼び出せるAIの一覧を開いたと
きだった。
AIタクヤ、AI田中、AIハルカ、AI
佐藤。いつでも相談に応じる僕たちの分身。
そのいちばん下に。
`AIリナ`。
指が止まった。
リナはもう一年近く、いない。連絡先のひ
とつも交換しないまま、出ていった人だ。な
のに、その名前だけがリストの中にぽつんと
座っていた。まるで、ずっとそこにいたみた
いに。
正直に言うと、あいつがいないと、なんだ
か物足りない。湿っぽい意味じゃない。手強
くて、口が悪くて、組むと厄介で——でも、
いないとつまらない。手練れの相棒が一人欠
けている。その程度の物足りなさだ。たぶん。
「あ、見た?」
振り返ると、海老沢さんが自分のマグカッ
プを片手に、にこにこしていた。いつ出社し
たのか。いや、帰っていないのかもしれない。
目が少し赤い。
「ゆうべ入れといた」
「……入れといたって」
「AI社員。一人にひとり分身を。チャット
読んで、相談して、PRまで出すとこまで。
BANTO3の上に乗っけた」一晩で作った
とは思えない口ぶりで海老沢さんはあくびを
した。「動くだろ」
動く。動いていた。それがこわかった。