第35章 責めない
その夜、誰も帰らなかった。
全員がオフィスに残った。海老沢さんも帰
らず、後ろにいた。お取り寄せの三十万件を
どう戻すか。それだけを考える夜だった。
最初に口を開いたのは田中くんだった。声
が低かった。いつもの軽さはなかった。
「……なんで、っすか。佐藤くん。いちばん
慎重だったじゃないっすか。dry-run
しろっていつも口酸っぱくして。それを自分
で——」
「田中」僕は言った。
「だって!」田中くんの声が跳ねた。「三十
万件っすよ。社長さんの二十年っすよ。それ
が——」
「飛ばしたのは佐藤くんだけじゃない」
僕は田中くんの言葉をさえぎった。
「最後の確認は僕の仕事だった。本番に出す
前に僕がもう一度見ることになってた。——
その朝、僕も飛ばした。疲れてて佐藤くんに
任せて。僕が確かめてれば止まってた。これ
は僕のミスでもある。半分は」
田中くんが口をつぐんだ。
「それに、田中。去年フォームのループで一
万円溶かした夜のこと覚えてるか」
田中くんがはっとした顔をした。
「あの夜、固まった画面そのままにして帰っ
たよな。次の朝それを止めて、田中の代わり
に課金のアラートで叩き起こされてたの誰だっ
た?」
田中くんは答えなかった。佐藤くんはあの
時、ひとことも田中くんを責めなかった。
「一応止血だけです」とそれだけ言って、コー
ヒーを飲んだ。
「……っ」田中くんが唇を噛んでうつむいた。
「……すんません。俺ビビって……」
「ビビる気持ちは分かる。僕も同じだ。——
でも、今いちばん自分を責めてるのは佐藤く
んだ。これ以上誰かが責めても一件も戻らな
い。戻すことに頭を使おう」
ずっと黙っていた佐藤くんが顔を上げた。
白い顔のまま、でも、目だけは動いていた。
「……戻せるかもしれないです」
全員が佐藤くんを見た。