第61章 二十年
忘れ物を取りに、夜の法人へ一人で戻った。
会議室に明かりがついていた。もう九時を
過ぎていた。誰もいないと思っていた。ドア
を開けて、私は立ち止まった。
戸田さんがいた。
一人で長机に書類を広げて、眼鏡を外して
目頭を押さえていた。——昼間のあの感情の
出ない顔じゃなかった。ただ、疲れた五十過
ぎの男の顔だった。会議のたびに、私たちの
前で分厚いファイルを盾みたいに構えていた
あの人とは別人みたいに見えた。
私に気づくと、少しだけ姿勢を戻した。で
も、いつもの鎧までは着直さなかった。もう
そんな元気もなかったのかもしれない。夜の、
九時だ。
「まだいらしたんですね」と私は言った。
「……改定の確認ですよ」戸田さんは書類を
顎で示した。「来年のね。もう動き始めてる。
加算の要件がまた変わるんです。一個でも読
み落とすと。この法人さんの請求が返戻され
る。……数百万飛ぶこともありますよ。一月
で」
机の上には、官報のコピーと、付箋だらけ
の分厚いファイルが何冊も積んであった。蛍
光ペンの線がページの端からはみ出していた。
「これを二十年ですか」と私は聞いた。聞い
てから、少し失礼だったかと思った。
「二十年」戸田さんは少し笑った。自嘲みた
いだった。「面白くはないですよ。ちっとも。
誰も褒めやしない。うまくいって当たり前。
一回ミスったら無能だ。……でもね。誰かが
やらなきゃいけない。うちの客の——この法
人さんの職員さんの。給料がかかってるんで
ね。飯の種だ」
私は何も言えなかった。