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第66章 田辺さん

2026年08月05日

66章 田辺さん

 電話はすぐに繋がった。

「はい、田辺です」

「……ご無沙汰しています。東京ネット工務

店の桜井です」

 一拍、間があった。その沈黙でだいたい分

かった。この人は去年のことを忘れていない。

忘れて、のうのうと電話に出られる人だった

ら、そもそも僕はこんなに身構えていない。

「……桜井さん」田辺さんの声が少し掠れた。

「お久しぶりです」

 会って話しましょうということになった。

先方からうちに来ると言う。あの頃、僕らが

向こうのビルに日参していたのがそっくり逆

になっていた。

---

 田辺さんは老けていた。

 一年半で人はこんなに老けるのかと思った。

前に会ったのはあの失注の日だ。会議室の隅

で、目を伏せて、それからエレベーターまで

見送りに来て、「俺は御社のままがよかった」

と小さく言った人。あの時からこの人はずっ

と疲れていたのかもしれない。髪に白いもの

が増えて、頬の肉が落ちていた。

 名刺を交換した。肩書きが妙なことになっ

ていた。情報システムから外れている。別の

部署の名前が刷ってあった。なのに、その下

にもう一枚、「全社DX推進」という横断の

肩書きがあとから貼り付けたみたいに載って

いた。

 あとで分かった。田辺さんは一度畑違いの

部署へ飛ばされていた。そこに籍を置いたま

ま、この件の火消しのためだけに呼び戻され

て、社長から全部の決裁権を預かっていた。

この件については、田辺さんの上にもう誰も

いない。

 ——皮肉な話だった。

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