第80章 これを成功させてから
その夜、北野さんは遅くまで残っていた。
採った人に最初の三か月で何を教えるか。
それをリナさんと二人で書き出していた。僕
は少し離れた席で、別のSの資料を見ながら、
二人の話をなんとなく聞いていた。
北野さんの顔は少し明るかった。この一月
でいちばん、と言っていいくらい。自分で選
んだ部下に何を渡すか。それを考えるのはた
ぶん楽しかったんだと思う。抱えて沈む、じゃ
なくて。渡して、育てる。初めてそっち側に
立っていた。
でも、その明るさの途中で北野さんはふと
手を止めて言った。
「……こういうの考えてて、なんですけど」
少し言いにくそうだった。「僕、やっぱりこ
の子が一人で回せるようになったら、抜けよ
うと思ってます。それがいちばん綺麗な気が
して」
リナさんの手も止まった。
「戻る気はないんです、あの会社に」北野さ
んは続けた。早口じゃなかった。もう、盾を
拾うあの喋り方じゃなかった。ただ、静かに
決めていることを言う声だった。「うちのあ
の体質は変わらない。誰も本当のことを言わ
ない。頑張った奴が焼かれる。……ここに来
てよけいに分かりました。ああ、あれは普通
じゃなかったんだって。だから、この子をちゃ
んと立たせたら、僕の役目は終わりです。あ
とは辞めて、どこか別のところで」
僕は口を挟まなかった。
前に僕も同じことを言われている。喫茶店
で。「復帰したら、辞めます」と。あのとき
僕は引き止めなかった。今も引き止めるつも
りはなかった。この人の、辞めたい、は本物
だ。あの会社の体質は本当に変わらない。そ
れを「そんなことないよ、いい会社だよ」な
んて言うのは噓だ。北野さんにいちばんして
はいけない噓だった。
リナさんも引き止めなかった。
代わりに少し考えてからこう言った。
「うん。辞めていいと思う」
北野さんがリナさんを見た。