CoBANTO3-AI

第87章 気持ちよすぎて、ちょっと危ない

2026年08月05日

87章 気持ちよすぎて、ちょっと危ない

 佐藤くんがユーチューブをやっているのを

僕はしばらく知らなかった。

 教えてくれたのは当然のように田中くんだっ

た。ある昼休み田中くんが「桜井さん、これ、

これ」と自分のスマホをこっちに突き出して

きた。画面のなかで机の上に置かれた小さな

キーボードを、指だけが淡々と分解していく。

喋っているのは佐藤くんの声ではなかった。

少し舌ったらずな合成音声のキャラクターが

「このスイッチはね、押したときの音が違う

のだ」とやたら嬉しそうに解説している。

「顔出さないんだ」

「出すわけないっすよ、佐藤くんが」と田中

くん。「でも登録者、地味に増えてるんすよ。

ほら、四桁」

 斜め向かいで佐藤くんがコーヒーのカップ

を持ったまま聞こえていないふりをしていた。

無口な佐藤くんがあの合成音声を借りてこん

なに機嫌よく喋っている。人にはいろんな出

口があるんだなと思った。

「収益化したの?」と僕は聞いた。

「……まだです」佐藤くんは一拍おいてから

ぼそっと言った。「広告つけると、好きなも

のだけ触れなくなる気がして」

「出た、佐藤くんの美学」と田中くんが茶化

す。佐藤くんは何も言い返さず、ただ少し口

の端を下げた。むっとしたときのいつもの顔

だった。

 好きだからやっていることに値段をつけた

瞬間、それは少し別のものになる。佐藤くん

はたぶんそのことを体でわかっている。僕ら

の会社にいると、その手の感覚はなんとなく

伝染してくるところがあった。

 田中くんがスマホをいじりながら思い出し

たように言った。

「そういえば佐藤くん、この前の旅館のフロ

ントのやつ。あれ動画にしないんすか。台ま

で自分で作ってたじゃないっすか」

 帳場に置く受付用のタブレットの話だった。

売っているスタンドはどれも黒くててらてら

していて、あの古い帳場に置くとそこだけ浮

く。佐藤くんは結局木を買ってきて、自分で

台を作った。柱と同じ色に塗って、配線は一

本も見えないように裏から回して。ガジェッ

トが好きな人間が見たらいちばん喜ぶたぐい

の仕事だった。

「客先のは撮らない」

 それだけだった。佐藤くんの線はそこにき

れいに引かれていた。自分の好きなガジェッ

トは世界じゅうに見せても、お客さんの仕事

は一秒も映さない。誰に教わったわけでもな

いその線を、この会社の人間はみんなどこか

に持っていた。

 佐藤くんのガジェット熱にはときどき妙に

古いところがあった。その日もランチのあい

だ、彼はスマホで何かの記事を熱心に追って

いて、ふいに「あれ」という顔をした。

「桜井さん。……これ海老沢さんじゃないで

すか」

 見せられたのはずいぶん昔のパソコン雑誌

のバックナンバーを紹介するまとめ記事だっ

た。二〇〇〇年代のはじめ。中国に作らせる

こと自体は大きな会社ならもう当たり前にやっ

ていた。ただ、小さな商社が自分のブランド

を掲げて、しかも数百個みたいな小さい単位

で作らせる——そういうやり方がようやくで

きるようになった頃の話らしい。「トキワ」

という名前でそれをやっていた男が家電量販

店の通販に共同企画でDVDプレイヤーを卸

したら、それが当たった。だったら自分たち

で直に売ればいい、とその男は通販の店を出

す。「大陸問屋」という聞いたこともない屋

号。写真は粗くて、顔まではよくわからない。

でも、その眉のあたりがたしかに海老沢さん

に似ていた。

 ちょうど外から戻ってきた海老沢さんに佐

藤くんがおそるおそるスマホを向けた。

「海老沢さん、これ……」

 海老沢さんは脱ぎかけた上着を手に持った

まま画面をのぞきこんだ。

「うわ、よく見つけたな、こんなもん」

 声が少しだけ弾んでいた。「その写真な、

実物よりだいぶ男前に撮ってもらってるんだ

よ」

「じゃあ、やっぱり海老沢さんじゃないです

か」

「昔の話」

 海老沢さんは笑って上着をハンガーにかけ

た。懐かしがるでも、照れるでもなく、ただ

遠くに置いてきたものを一瞬だけ確かめたと

いうような顔だった。佐藤くんはそれ以上は

聞かなかったし、海老沢さんも語らなかった。

中国のOEMで大手の隙を突いていた男がい

まはグーグルのクラウドを梃子にして同じこ

とをやっている——そのことに、たぶんこの

会社でいちばん気づいていないのは海老沢さ

ん本人だった。

 夕方、海老沢さんと黒田さんがまた例のご

とくスマホを出してサマライブの順位を競り

はじめた。いい大人が二人、シマの育ち具合

で本気で言い合っている。田中くんが「今年

こそ黒田さんっすよ」と煽り、佐藤くんは六

つのシマを黙って完璧に育てたまま、その騒

ぎをよそにまたガジェットの記事に戻っていっ

た。ハルカさんが「わたし二日でやめました」

となんの後ろめたさもなく言って、定時で帰っ

ていった。

 これがうちのふだんだった。

---

 その週、僕はひとつお客さんとの最初の打

ち合わせに入っていた。ある会社が自社のサー

ビスを一気に作り直したいという話で、規模

としてはそこそこ大きい。

 海老沢さんに教わってから、こういう最初

の席で僕がやることは決まっている。

「たぶんいちばん怖いのはここです」と僕は

ホワイトボードに書いた。「キャンペーンで

一気に人が来る瞬間。ここで落ちると、いち

ばん見られたくないところを、いちばん大勢

に見られます」

「そういうのはそちらでうまくやってくれる

ものかと」と先方の担当者は言った。

「うまくやります。ただ、どこまで備えるか

はお金と相談なんです。備えれば備えるほど

高くなる。だから、どこは持てて、どこは持

てないかを先に一緒に決めさせてください」

 お客さんは少し戸惑ったような顔をした。

たいていの客は最初この話を嫌がる。都合の

悪い話を先にされるのは気持ちのいいもので

はないからだ。でも、ここで一緒に地図を描

ける相手とは、たいていいい仕事になる。描

くのを面倒くさがる客とは——海老沢さんの

言い方を借りれば、「たぶんやらないほうが

いい」客だった。難しいからではない。難し

い仕事は、うちはむしろ受ける。持てないも

のを一緒に持てない相手とは、いい仕事にな

らないというだけのことだった。

 規模のほうは正直あまり心配していなかっ

た。動かす基盤はグーグルのクラウドだ。人

が一気に来たときに膨らませるのも、引いた

ときに縮めるのも、向こうの仕組みがやる。

僕らはその梃子の上に必要なものだけを小さ

く載せればいい。人手で押さえこむ代わりに

雲の上の巨大な力を借りて、数人で回す。そ

れがうちのやり方で、僕にとってはもう息を

するのと同じくらい当たり前のことになって

いた。

 この「当たり前」が外の人にはまるで当た

り前でないことを、僕はこのあと思い知るこ

とになる。

---

 今井から二度目の連絡が来たのはそれから

しばらくしてのことだった。

「この前の話、うちの先輩がえらく食いつい

ててさ」と今井は言った。「グーグルのクラ

ウドの使い方ちょっと教えてもらえないかっ

て。藤堂さんっていううちのエースなんだけ

ど」

ここから先は、登録した方に。

「ライトノベル「ようこそ、東京ネット工務店へ」第四部」に登録すると、この号の続きと、これまでの号すべてを読めます。

  • 無料
  • 全8号
  • 最新 2026/08/12

ご登録で、CoBANTO3-AIの無料クレジットを500ぶんお渡しします。おひとりさま一度だけです。

読むのが面倒なら、登録後にこの号についてAIに訊けます。

ほかの読みもの

新しい号から読む

第1号から読む

このチャンネルのポリシー

著作権
チャンネル掲載の記事・小説等の著作権は海老澤敦に帰属します。当該コンテンツの掲載および当サイトの運営・管理は株式会社東京ネット工務店が行っています。その他、当サイトのコンテンツおよびロゴ・商標等の権利は同社に帰属します。
引用
当サイトのコンテンツは、通常の「引用(出典を明記した上で、一部を転載すること)」であれば、事前の連絡なく行っていただいて構いません。ただし、当サイトの文章や画像をAIのトレーニングデータ(生成AIの学習、機械学習、データ解析等)として取り込むこと、およびスクレイピングによる自動収集は固くお断りいたします。 Prohibition of AI Training and Data MiningWhile text quotation under copyright law is permitted with proper credit, the use of any content on this website for AI training, machine learning, text/data mining, or web scraping is strictly prohibited.
リンク
リンクは自由です。事前のご連絡は不要です。