中国の大手フードデリバリーで、ろう・難聴の配達員は、AI以前から、ほかの配達員より会社に多くの利益を出していました。それでも時給は約10%低いままでした。その会社の技術者3人が、勤務時間外に、配達員が顧客に電話をかけられる道具を作りました。研究者の計算では、開発費は約4日分の増益で元が取れます。
① 事実
トロント大学、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、浙江大学の研究者4人が、中国の大手フードデリバリーの配達員を追跡しました。ろう・難聴の配達員と、それ以外の配達員を、同じ仕事で比べています。途中で、ろう・難聴の配達員だけに、顧客へ電話をかける道具が配られました。研究者たちは、その前と後で何が変わったかを測っています。
研究者たちは、ろう・難聴の配達員4,284人を追いました
論文は、Yanyou Chen氏、Mitchell Hoffman氏、Huilan Xu氏、Zhe Yuan氏による「Empowering Inclusive Work」です。2026年6月に、NBER(全米経済研究所)のワーキングペーパー(査読前の研究論文)として公開され、8月に改訂されました。
舞台は、中国の2大フードデリバリーアプリの一つです。社名は論文に書かれていません。この会社は、基本の条件を満たす人をすべて受け入れていて、障害のある人に別の基準を設けていません。
研究者たちは、2021年から2023年に登録した、ろう・難聴(DHH=Deaf and Hard of Hearing)の配達員4,284人全員と、無作為に抜き出したそれ以外の配達員約4万人のデータを、会社から受け取って比べました。
ろう・難聴の配達員は、AI以前から会社に週12%多い利益を出していました
道具が入る前、ろう・難聴の配達員は、ほかの配達員より配達が遅く、悪い評価も多い状態でした。差が大きかったのは、顧客とのやりとりが要る、届ける直前の場面です。
一方で、働く時間が長く、辞める人が少なかったため、こなす注文は多く、会社に出す利益は週12%多くなっていました。それでも時給は、ほかの配達員より約10%低いままでした。研究者たちは、働く時間が長く辞めにくいのは、ほかの働き口が少ないためだと見ています。
技術者3人が、勤務時間外に、顧客へ電話をかける道具を作りました
道具の名前は「Intelligent Outbound Calling」(IOC)です。配達員が、用意された文面を選ぶか自分で打つと、アプリが顧客に電話をかけ、自然な声で読み上げます。電話は、かけているのがろう・難聴の配達員だと伝える一言から始まります。顧客は、電話ではなくアプリで返事をします。
それまでの連絡手段は、アプリの中の文字のメッセージでした。「ドアを開けてもらえますか」「場所が分かりません、あと5分ください」といったメッセージは、顧客に見落とされがちでした。
AIが使われているのは、文字を声に変える音声合成(TTS)の部分です。大規模言語モデルは使っていません。音声合成の技術そのものはAI以前からありましたが、機械的な声は営業電話や詐欺電話と思われて、顧客に切られていました。論文は、AIで声が自然になって、顧客が電話を聞いて動いてくれるようになったと書いています。
道具は、会社の中で技術者3人ほどが、勤務時間外に数か月かけて作りました。2022年半ばに、ろう・難聴の配達員全員へ一斉に配られました。ほかの配達員は使えません。
道具が入ると、遅配の差は無くなり、時給の差は7%未満まで縮みました
道具が入ったあと、ろう・難聴の配達員の遅配の差は無くなりました。悪い評価の差も3分の2縮んでいます。働く時間は増え、辞める人はさらに減り、会社に出す利益は週17%増えました。
時給の差は、約10%から7%未満になりました。効果は、重い聴覚障害の人のほうが大きく出ています。
開発費は2万ドル以下、元が取れるまで約4日の計算です
研究者たちは、開発にかかった技術者の時間を、3人が週10時間ずつ3か月と控えめに見積もり、人件費で約2万ドル以下としています。使うたびにかかる費用はありません。
1注文あたり7元(約1ドル)の利益という仮定を置くと、道具による増益は月に約16万3,000ドルです。開発費は約4日分の増益で元が取れる計算になります。増えた注文の半分がほかの配達員から移っただけだったとしても、元が取れるまで約1週間です。
出典:
- Yanyou Chen, Mitchell Hoffman, Huilan Xu, Zhe Yuan「Empowering Inclusive Work」(NBER Working Paper 35372、2026年6月、8月改訂) https://www.nber.org/papers/w35372
- NBER Digest「AI and the Performance of Workers with Disabilities」(2026年10月1日) https://www.nber.org/digest/202610/ai-and-performance-workers-disabilities
- UC Santa Barbara「AI-enabled tools may help disabled workers close the wage gap」 https://news.ucsb.edu/2026/022804/ai-enabled-tools-may-help-disabled-workers-close-wage-gap
② 構造
中国のフードデリバリーの道具IOCが直したのは、配達の最後に顧客と連絡を取る場面だけでした。使ったAIは、文字を自然な声にする部分だけです。ろう・難聴の配達員は、道具が入る前から会社に多くの利益を出していて、足りなかったのは顧客に話を聞いてもらう手段でした。研究者たちも、効果は顧客とのやりとりが良くなったことによると結論づけています。
AIで変わったのは、顧客が電話を聞いてくれるかどうかでした
ろう・難聴の配達員が顧客に伝えたいことは、AI以前から決まっていました。ドアを開けてほしい、場所が分からない、ロッカーに入れた、といった内容です。届かなかったのは、文字のメッセージが見落とされ、機械的な声の電話が切られていたからです。
AIが変えたのは、声が人の声に近くなり、顧客が電話を聞いて動くようになったことでした。研究者たちは、効果の理由として、顧客がろう・難聴の配達員に同情するようになったという見方を退け、連絡が良くなったことを挙げています。
IOCは、配達の中の一つの場面だけを直しました
IOCは、配達の仕事全体を変えていません。料理を受け取り、運ぶ仕事はそのままで、届ける直前の連絡の場面だけに道具を当てています。よく起きる用件は、用意された文面を選ぶだけで電話になります。
本紙はVol.75で、米国のKodiak Gas Servicesが、AIの使い道の候補25個から部品探しの一つを選んだ事例を取り上げました。毎日、全員に起きる、短くて形の決まった作業でした。IOCが当てた場面も、ろう・難聴の配達員に毎日起きる、用件の形が決まった一往復です。
効果は、もともと差が大きかったところに大きく出ました
道具の効果は、重い聴覚障害の人のほうが大きく出ました。研究者たちは、聞こえにくさが重い人ほど、簡単なやりとりでも困っていたからだと説明しています。
研究者たちは、ほかの働き口が多い地域ほど、働く時間と注文の伸びが大きかったとも書いています。道具は、配達員にとってこの仕事を選ぶ理由を増やしたと読めます。