
就活で30社に落ちて、新卒で入ったのは防衛省の目の前、マンションの一室の4人の会社。渡されたのは50ページの古臭い冊子と、「夏まで」の賭け。完璧なコードは、誰も助けなかった。桜井拓也、1年目の話。
2025年4月1日。防衛省の目の前の、マンションの一室。社員は僕を入れて4人。こたつと、レトロゲーム機と、50ページの古臭い冊子。「効率、成果、スピード。世界観とか、正直綺麗事に聞こえます」海老沢さんはむしろ嬉しそうだった。「じゃあ、賭けをしよう」
2025年4月1日。防衛省の目の前の、マンションの一室。社員は僕を入れて4人。こたつと、レトロゲーム機と、50ページの古臭い冊子。「効率、成果、スピード。世界観とか、正直綺麗事に聞こえます」海老沢さんはむしろ嬉しそうだった。「じゃあ、賭けをしよう」
ログイン画面のバリデーション。8文字以上、英数字記号混在。教科書どおりの完璧なコードを、2時間で書き上げた。「桜井くん、このクライアントの顧客層ってどんな人たちか知ってる?」「……いえ」「高齢者向けの地域コミュニティアプリなんだ」
設計メモ、意図の記録。この会社はやたらと書く。コードさえ読めば分かるだろ。僕は半日で集計モジュールを仕上げた。2日後、寡黙な黒田さんが僕のデスクの横に立った。「使えなかった」
「配送業者との連携機能を追加してほしいんです。でも、予算が……」ここだ。ビジネスはシビアであるべきだ。僕は口を挟んだ。「その予算感だと弊社としても受けるメリットが薄いんです」——空気が凍った。
初めて一人で任された仕事。1週間の納期を、3日で仕上げた。これがスピードだ。翌日の午後、Slackが鳴った。「クライアントから連絡 フィルタ動かないって」慌てて直して、報告して、5分後。「桜井くん ちょっと来て」
「昨日の件、何が問題だったと思う?」「テストが不十分でした」「他には?」「……仕様書に全パターンのテストケースが書いてなかったので……」海老沢さんは首を横に振った。「ストップ。今お前は何をした?」
遅れた歓迎会。行き先は黒田さんが間を置かずに言った。「……荒木町」階段を上がった2階の焼き鳥屋で、店主が満面の笑みで迎えた。「あ、黒田さん!」2杯目のビールが来た頃、あの寡黙な黒田さんが急に喋り始めた。
AIにコードを書かせてみると、確かに速かった。1週間、使いまくった。「桜井くん、もしかしてAI任せにしてない?」……ばれたか。1時間分からなかったバグを、海老沢さんは画面を5秒見て指差した。「……だいたいここだな」
WebSocketくらい調べればできる。3日後、僕は壁にぶつかっていた。「桜井くん、進捗どう?」エラーの出ている画面を反射的に切り替えた。「……順調です」納期の前日、エアコンの止まった深夜のオフィス。朝7時、白石さんが出社してきた。「桜井くん……徹夜?」
「聞くことは、恥ではない」。白石さんの言葉はちゃんと覚えていた。でも、ボタンの位置くらい、これくらい大丈夫か。修正は10分で終わった。その夕方、会議室から白石さんの電話の声が聞こえた。「はい、こちらの確認不足で。申し訳ありません」
初めて黒田さんと一緒にプロジェクトを担当した。「私がバックエンド、桜井くんがフロントエンド」共有されたAPI仕様は、拍子抜けするほど詳細だった。3日後、二人のコードを繋いだ。すんなり動いた。……あれ?
夏の終わり。海老沢さんがテーブルに一枚の白い封筒を置いた。「覚えてる?初日の賭け」中身は推薦状。宛名は空けてある。半年前の僕なら、迷わず受け取っただろう。僕はその封筒をじっと見た。
初めてメインで担当する案件。地方の老舗旅館の予約システム。世界観は「温かいおもてなし」。和紙の背景、舞う花びら、手書き風のメッセージ。3週間後、自信満々でデモを見せた。女将さんは困ったように、少しだけ笑った。「でも——なんだかうちじゃないみたい」
「これ2年前に立ち上げたプロジェクト。今でも問題なく動いてる」白石さんが見せたコードは、誰が書いたかすぐには分からなかった。その午後、自分が3ヶ月前に書いたコードを開いた。これ、俺が書いたのか?
女将さんから電話があった。「ギフト券を買えるようにしてほしいって要望が多くて」ゼロから作れば300万円規模。僕は海老沢さんのデスクに行った。「この機能、他の旅館でも使えそうか?」電話を切って1週間後。「桜井さん、聞いてください!」
女将さんの紹介の新規案件。初顔合わせから期待がすごかった。「女将さんがあんなに褒めるんだから」最初は気分が良かった。でも、途中でふと怖くなった。デモの前夜、普段なら朝に回す小さなバグが見つかった。その夜は、できなかった。
「この案件どう進めるか提案してみて」白紙のドキュメントを開いて、いつもの癖で技術の話から書こうとして——手が止まった。違う。そこじゃない。翌日、海老沢さんが笑った。「初日の君と同じ人間が書いたとは思えないな」
12月の月曜、一人の女性がオフィスに入ってきた。「神崎リナです。東京大学経済学部の4年生です」冊子はもう読んだという。「累積戦略は、機会費用の観点から非効率ではないですか?」こめかみのあたりがじわりと熱くなった。「……実務経験は?」
「なぜ報連相にこだわるんですか?」「なぜ手作業で確認するんですか?」リナさんの疑問はすべて理論的には正しい。「連打のテスト。3行で済みます」僕のキーボードに伸びかけた手が、途中で止まった。整理されてしまった。しかも、僕が言おうとしていたことより正確だった。
初めての公共案件。予算800万円、納期2ヶ月。3週間後、メールが来た。「3言語対応にしたいです。追加費用はかけられません」「理論的には断るべきです」とリナさん。全員の視線が僕に集まる。「桜井くん、君がメインだ。どうする?」
残り4週間。クライアントから来た中国語の翻訳は、機械翻訳のままで意味が通じなかった。追加費用は出せない。「私、中国語読めます」リナさんはもう画面に向かっていた。翌朝出社すると、リナさんの机の上にコンビニのおにぎりの包み紙があった。
インターン最終週、僕はリナさんをランチに誘った。「実は僕30社以上受けて全部落ちたんですよ」リナさんは顔を上げた。しばらくして、小さな声で言った。「……私も落ちました」金曜日の夕方、オフィスに二人だけになった。「桜井さん。今日で終わりです」
リナさんが去って、ひと月。朝、ドアを開けるたび、目はついその空席に行く。「前期の売上6000万を超えた。だから仲間を増やす」4月1日、3人が入ってきた。田中ユウキ、佐藤アキラ、鈴木ハルカ。「桜井。お前もう新人じゃない。今度は引っ張る側だ」